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坂本龍一

「教授」坂本龍一の訃報が、寝起きのルーティーンのYahooニュースに飛び込んできた。

ここのところ、若い頃に影響を受けたアーティストの死が続くので、たまに書いているこのブログも故人を偲ぶ記事が続くことになってしまった。



彼との出会いは「千のナイフ」と言うYMO結成直前の1978年のアルバムである。当時、ギターキッズであった私のレコード購入動機は、当然ながらギター、ギタリストが中心で、当時も(今も)大好きだった渡辺香津美が参加していると言うことと、当時の音楽雑誌のレコード評で高評価だったこのアルバムを聴くことになった。渡辺香津美のギターはもちろん素晴らしかったのだが、当時の私は、その頃、どっぷりとフュージョンミュージックとジャズギターに傾倒していて、この「千のナイフ」のエレクトリック・ポップ&プログレのインストアルバムには、どうしてもなじめず、当時は愛聴盤となならなかったのだが、今聴くと45年前の音と言う古くささは全くせず、とてもクールで、今聴いてもコンテンポラリーなサウンドである。エレクトリックで混沌とした世界観と、切れ味のあるピアノタッチのオリエンタルなメロディーとが混在して遊離と結合を繰り返す、不思議なアルバムではあるが、楽曲に至っては、後の大ヒット映画「戦場のメリークリスマス」を想像させるようなメロディーや、ここからよりポップなYMOへと発展して行く、オリエンタルなポップさがあちこちにちりばめられていて、ここが彼のひとつの出発点であることが今聴くとよくわかるのである。


そんな訳で、時代を先取りし過ぎた坂本龍一との出会いは、こんな感じではあったのだが、翌年の1978年11月YMOがファーストアルバムを発売、ソニーのウォークマン初号機と共に世の中の若者のトレンドとなり、やがてそれは世界へと伝播していったのはご存じの通りである。


さて、そんなYMO人気まっただ中の1979年の夏、坂本龍一の生演奏に触れる機会があった。残念ながら1994年を最後に開催されなくなってしまったライブイベントだが、びわ湖バレイ・オールナイト・ジャズフェスティバルに渡辺香津美のバンドとして出演。先の「千のナイフ」にも参加していて、後、1982年に結婚する矢野顕子とともに参加していたのである。当時の記録によると、クレジットはKYLYNバンドではなく、渡辺香津美G+向井滋春 本多俊之とあって、坂本、矢野の参加は事前にはアナウンスされていなかった。ちなみにベースは尾崎亜美の旦那の小原礼、ドラムは村上ポンタ秀一で、当時の日本のトップアーティスト、トップテクニシャンが大集合した凄いバンドだった。


さらに、このオールナイトコンサートの出演者を並べると、


秋山一将ネクスト・ペイジ

ジョージ川口~松本英彦ビッグ4

原信夫とシャープスアンドフラッツ+阿川泰子vo

渡辺香津美G+向井滋春 本多俊之

世良譲p~古谷充asデュオ

ジョージ大塚グループ+ミロスラフ・ヴィトウスb

ザ・スクエア


と、見応えのある面々が並んでいる。

現地でのライブな感覚で言うと、メインの渡辺香津美以外で盛り上がっていたのは、当時テレビCMにも登場していて顔が売れていた阿川泰子で、ステージ前に観客がなだれ込んでいたが、個人的にはあまり歌の上手い人ではないと冷めた目で見ていたものだ。トリの前がヴィトウスで、演奏は素晴らしかったが、これは眠気を誘った。そして、ザ・スクエアはまだ出だしの頃で、おまけにトリでの出演で、オールナイトのトリと言うのは夜が白んできた早朝、観客は酔い覚めと徹夜の疲れで半分寝ている状態で、少しかわいそうな印象だった。

話が横道に逸れたが、この時の渡辺香津美のバンドの演奏は、同年6月に六本木 PIT INNで録音されたアルバム「KYLYN LIVE」の内容にほぼ重なる内容、メンバーで、本当に聴き応えのある熱い演奏だった。

そして、メンバー紹介で一番の熱い声援を受けていたのが、坂本龍一だった。


その後の坂本の活躍は、皆さんもご存じの通りで、今朝からの報道でも取り上げられている通り、戦場のメリークリスマスやラストエンペラー、バルセロナオリンピック開会式などの世界的活躍へと進んでいくのであるが、私にとってはやはり、生の坂本龍一の音に触れる機会があったことが、一番の印象として残っているのである。












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